こういう風にして私の四分の一天引貯金生活は始められた。二、三年たつと預けた金の利子が毎年入ってくる。これは通常収入になるので、その四分の三は生活費に回すことができる。つまり月給と利子との共稼ぎになるので、天引生活はいよいよ楽につづけられることになってきた。これでまずまず私も一家もひと安心というわけである。
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人間の一生をみるに、誰でも早いか晩(おそ)いか、一度は必ず貧乏を体験すべきものである。つまり物によって心を苦しまされるのである。これは私どもの長年の経験から生れた結論である。子供の時、若い頃に贅沢に育った人は必ず貧乏する。その反対に、早く貧乏を体験した人は必ず後がよくなる。
つまり人間は一生のうちに、早かれ、おそかれ、一度は貧乏生活を通りこさねばならぬのである。
だから、どうせ一度は通る貧乏なら、できるだけ一日でも早くこれを通り越すようにしたい。ハシカと同じようなもので、早く子供の時に貧乏を通り越せてやった方が、どれだけ本人のためになるかわからぬ。まことに若い時の苦労は買ってもやれといわれているが、貧乏に苦労し、貧乏しぬいてこそ、人生の意義や事物の価値認識を一層ふかめることができるのである。貧乏したことのある人間でなければ、本当の人生の値打はわからないし、また堅実に、生活の向上を目指していく努力と幸福は生じてこないのである。
貯金生活をつづけていく上に、一番のさわりになるものは虚栄心である。徒(いたず)らに家柄を誇ったり、今までの仕来りや習慣にとらわれることなく、一切の見栄をさえなくすれば、四分の一天引生活ぐらいは誰にでもできるのである。自分のネウチが銀もしくは銅でしかないのに、暮しの方は金にしたい。金メッキでもいいから金に見せかけたい。こういった虚栄心から多くの人が節倹(せっけん)できないのである。銀はどうせ銀、銀なりに暮せばいいのであるが、さらに人生をより安全にし、生活をより健全にしようとするならば、むしろ一歩を退いて――事実は一歩を進めて――実力以下の銅なり、鉄なりの生活から出発していくべきだろうではないか。戦後の何もかも新規蒔き直しの生活には、特にこの決心と勇気が必要であると思う。
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