私の財産告白

私は本年八十五才になる。自分でもまず相当な年令と思う。しかし、「人生即努力・努力即幸福」といった新人生観に生きる私は、肉体的にも、精神的にも、なんら衰えを感ずることなく、日に新たに、日に日に新たに、ますますハリ切って、毎日を働学併進(どうがくへいしん)に送り迎えしている。世の中をあるがままにみ、避けず、恐れず、それに直面して、愉快に面白く闘いつづけ得ている。まったくもって感謝の外はない。

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今ここに、長い過去をかえりみて、世の中には、あまりにも多く虚偽(きょぎ)と欽(ぎまん)と御体裁(ごていさい)が充ち満ちているのに驚かされる。私とてもまたその世界に生きてきた偽善生活者の一人で、今さらながら慙愧(ざんき)の感が深い。しかし、人間も八十五年の甲羅を経たとなると、そうそううそいつわりの世の中に同調ばかりもしていられない。偽善ないし偽悪の面をかなぐりすてて、真実を語り、「本当のハナシ」を話さなければならない。これが世のため、人のためでもあり、またわれわれ老人相応の役目でもあると考える。

本書に収められた『私の財産告白』、『私の体験社会学』の二編は、すなわち、この意図により、雑誌「実業之日本」を通じて世に問うた私の真実言であって、いずれも異常なる読者の反響をかちえたものである。

古諺(こげん)に、無くて七癖という。老人にもまた七癖無くてはならぬ筈。しかも、その一つに、御説教癖ともいうべき万人共通のものがあろう。本書の内容もこれが御多分にもれぬかもしれぬ。しかし、ここに私の説くところは、ただ口先や筆先ばかりで人にすすめるものではなく、いずれも自分みずから実行し、実効をあげたもののみの吹聴であり、物語であって、御説教のための御説教は、一言半句もさしばさまれていないつもりである。

実をいうと、いかによいことでも、それが自分の実践を基にして、しかも相当の成果をあげたことを語る場合、なんだか自慢話になってやりにくいものである。ことに財産や金儲けの話になると、在来の社会通念において、いかにも心事が陋劣(ろうれつ)であるかのように思われやすいので、本人の口から正直なことがなかなか語りにくいものである。金の世の中に生きて、金に一生苦労をしつづける者が多い世の中に、金についての真実を語るものが少ない所以(ゆえん)もまた実はここにある。

それなのに、やはり、財産や金銭についての真実は、世渡りの真実を語るに必要欠くべからざるもので、最も大切なこの点をぼんやりさせておいて、いわゆる処世の要訣を説こうとするなぞは、およそ矛盾も甚だしい。

そこで、あるいは蒙(こうむ)るであろう、一部の人々の嗤笑(ししょう)を覚悟の前で、柄にもなく、あえて私の行うに至ったのが、この『私の財産告白』である。もとより、平々凡々を極めた一平凡人の告白である。新しく世に訴える何物もないことはいうまでもない。しかも、それが予想に反して、知名の財界人を始め、各層社会人の間に、多数の共感共鳴者を発見するに及んだのは、老生近頃の最大欣快事(きんかいじ)でなければならぬ。

昭和二十五年十一月

本多静六

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三十株から山林一万町歩へ

さて話は横にそれたようであるが、元へ戻って、私の「財産告白」をつづけると、天引貯金によって相当にまとまることになった資金で、最初にまず、ブレンタノ博士の仰せに従って日本鉄道株(上野青森間――私鉄時代)を買入れた。

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たしかに十二円五十銭(現在の価格に換算すると約四万六千円)払込みのもの三十株だったと記憶するが、それが間もなく三百株にふえた時、払込みの二倍半で政府買上げとなった。年々一割の配当を受けつつ私の貯金の一部が早くもここに、三万七千五百円(現在の価格に換算すると約一億四千万円)となったわけである。明治時代の三万何千円はとても大したものであった。これだけでまず一財産ということができた。しかもその元はといえば僅かな俸給の四分の一天引である。私は特にここで貯金を馬鹿にしている一部の人々にこのことを強調したい。――国家の敗戦とそれに伴うインフレーションといった大変事さえなければ、やはり貯金の力は絶対偉大である。

つづいて私は、その金で、今度は秩父の山奥の山林買収に着手した。これはブレンタノ博士の教えによるのでもあり、また私の専攻学科にも関係が深かったからでもある。

当時秩父の山奥(中津川)は国内においても稀にみる天然美林であったが、鉄道からは遠く、道路もほとんど皆無で、その開発に手がなく、税金ばかりかかって只でも貰い手がないというほどの有様であった。私は天下のこの大財宝がこのまま朽ち果てるわけはない。また朽ち果てしむべきではないと考え、売手のあるに従って伝い値で買い込むことにした。伝い値といっても全く只のようなもので、一町歩(約三千坪)がタッタ四円(現在の価格に換算すると約一万五千円)前後、それも一々正式に実測することができないので、一つの山に登って、反対側の山を指差し、あの谷からあの谷まで全部で何十町歩、何百町歩といったやり方で、その土地立木全部を台帳面積いくらでと買い取ったのである。中には買手が来たからといって、全村挙(こぞ)ってその持ち山を私に売りつけに来たことさえあった。

何れにしても、数万円の資金が用意されているところへ、一町歩タッタ四円というのであるから、私はほとんど片っぱしからそれを買い入れることができた。しまいには三井、三菱といった有力な競争者が現れたが、そんな頃には私はもう八千町歩(約二千四百万坪)からの山林を自分のものとしていたのである。――その後にも買増して約一万町歩(約三千万坪)にもなった。

ところへ、日露戦争後の好景気時代がやって来た。木材の思わぬ大値上りで、しかも漸次(ぜんじ)搬出の便宜もととのえられてきた。そこで、その立木だけを一町歩二百八十円ずつで一部を売ることにした。――まさに買値の七十倍である――これで昨日までの素寒貧(すかんぴん)本多が一躍(いちやく)成金になったというわけ。ある年のごときは年収二十八万円(現在の価格に換算すると約十億円)で、当時における淀橋(よどばし)(東京都新宿区内の地区)税務署管内のナンバーワンにまで出世(?)したのである。

当時はすでに、私はなお他にもいろいろの財産というべきものをもつに至っていたが、この山林の立木を時価でみただけでも二百八十万円(現在の価格に換算すると約百億円)、それに何やかやで、実は我ながら驚かされるまでに大したことになってしまった。四分の一天引き生活を継続しても、まだ金の使いようがなくて困るという有様で、十数年前のゴマシオ時代から考えても、また今日のホルモン漬時代から考えても、まったく夢のような豪華生活を送ったのである。それは主として学術研究兼視察の海外旅行によってであるが、その海外旅行と私費で今までに十九回も繰り返しえたのもまた、四分の一天引きに始まるこの投資財産のおかげであったのだ。

しかし、物事は程度をすぎると必ずそこに余弊(よへい)が生じてくる。はじめは「本多の財産」であった私の財産が、ここに至ると逆に私をとりこにして、「財産の本多」といった主客の顛倒(てんとう)を起しそうになった。

そこで、私はハッと気付くところがあり、財産を作る問題の次は、財産を処分する問題だと考え始めたのである。

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月給と利子の共稼ぎ

こういう風にして私の四分の一天引貯金生活は始められた。二、三年たつと預けた金の利子が毎年入ってくる。これは通常収入になるので、その四分の三は生活費に回すことができる。つまり月給と利子との共稼ぎになるので、天引生活はいよいよ楽につづけられることになってきた。これでまずまず私も一家もひと安心というわけである。

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人間の一生をみるに、誰でも早いか晩(おそ)いか、一度は必ず貧乏を体験すべきものである。つまり物によって心を苦しまされるのである。これは私どもの長年の経験から生れた結論である。子供の時、若い頃に贅沢に育った人は必ず貧乏する。その反対に、早く貧乏を体験した人は必ず後がよくなる。

つまり人間は一生のうちに、早かれ、おそかれ、一度は貧乏生活を通りこさねばならぬのである。

だから、どうせ一度は通る貧乏なら、できるだけ一日でも早くこれを通り越すようにしたい。ハシカと同じようなもので、早く子供の時に貧乏を通り越せてやった方が、どれだけ本人のためになるかわからぬ。まことに若い時の苦労は買ってもやれといわれているが、貧乏に苦労し、貧乏しぬいてこそ、人生の意義や事物の価値認識を一層ふかめることができるのである。貧乏したことのある人間でなければ、本当の人生の値打はわからないし、また堅実に、生活の向上を目指していく努力と幸福は生じてこないのである。

貯金生活をつづけていく上に、一番のさわりになるものは虚栄心である。徒(いたず)らに家柄を誇ったり、今までの仕来りや習慣にとらわれることなく、一切の見栄をさえなくすれば、四分の一天引生活ぐらいは誰にでもできるのである。自分のネウチが銀もしくは銅でしかないのに、暮しの方は金にしたい。金メッキでもいいから金に見せかけたい。こういった虚栄心から多くの人が節倹(せっけん)できないのである。銀はどうせ銀、銀なりに暮せばいいのであるが、さらに人生をより安全にし、生活をより健全にしようとするならば、むしろ一歩を退いて――事実は一歩を進めて――実力以下の銅なり、鉄なりの生活から出発していくべきだろうではないか。戦後の何もかも新規蒔き直しの生活には、特にこの決心と勇気が必要であると思う。

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ブレンタノ博士の財訓

私は林学博士の肩書きが示すように、大学ではもっぱら林学を担当してきた者であるが、ドイツ留学では、ミュンヘン大学で有名なブレンタノ先生の下に財政経済学を専攻してきたのであった。ドクトル・エコノミープブリケーの学位は、実はその時の土産である。

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そのブレンタノ博士が、私の卒業帰国に際して、「お前もよく勉強するが、今後、今までのような貧乏生活をつづけていては仕方がない。いかに学者でもまず優に独立生活ができるだけの財産を拵(こしら)えなければ駄目だ。そうしなければ常に金のために自由を制せられ、心にもない屈辱を強いられることになる。学者の権威も何もあったものでない。帰朝したらその辺のことからぜひしっかり努力してかかることだよ」
といましめられた。

ところで、当のブレンタノ博士自らは、どうであるかというに、大学の経済学教授として立派な地位を保たれていたばかりでなく、その説くところをすでに実行して、四十余才で早くも数百万円(現在の価格に換算すると約百億円前後)の資産かになっていた人なので、私はこの訓言を身にしみて有難く拝聴してきたわけである。

いったい何事でもそうであるが、口先や筆先ばかりで人にすすめるよりは、自分自らまず実践してみせ、しかるのちに人に勧めてこそ大いに効果があるものである。

ところが、いかによいことでも、自分が実行して相当の成果を挙げたことを人に教える場合、なんだか自慢話になってやりにくいものである。ことに財産や金銭の話となると、いかにも心事が陋劣(ろうれつ)であるかのように人が思いやすいので、本人の口から正直なことがなかなか語りにくいものである。それを六十年もの昔、異邦人の私に親切に説き聞かされた恩師の厚情は、今に私の感謝に堪えぬところであって、学界人として異端視されつつ、私が金銭生活についても、その所信を断行し、またザックバランに、昔からその体験を物語るに熱心な所以は、実はこのブレンタノ博士の明察と勇気と親切とにお応えしようとしているわけでもある。

ブレンタノ博士は、さらにこういうことをいわれた。

「財産を作ることの根幹は、やはり勤倹貯蓄だ。これなしには、どんなに小さくとも、財産と名のつくほどのものは拵(こしら)えられない。さて、その貯金がある程度の額に達したら、他の有利な事業に投資するがよい。貯金を貯金のままにしておいては知れたものである。それには、今の日本では――明治二十年代――第一に幹線鉄道と安い土地や山林に投資するがよい。幹線鉄道は将来支線の伸びる毎に利益を増すことになろうし、また現在交通不便な山奥にある山林は、世の進歩とともに、鉄道や国道県道が拓けて、都会地に近い山林と同じ価値になるに相違ない。現にドイツの富豪貴族の多くは、けっして勤倹貯蓄ばかりでその富を得たものではない。こうした投資法によって国家社会の発展の大勢を利用したものである」

そこで私は、まず四分の一天引貯金の断行をし、それから、このブレンタノ博士の貨殖訓をおもむろに実行に移すことにした。

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本多式「四分の一」貯金

「本多式四分の一貯金法」は、けっして本多の発明ではない。すでに二千五百年も昔にお釈迦様が御経の中でも説いておいでた。江戸時代でも松平楽翁公や二宮尊徳翁、その他幾多の先輩が奨励してきた貯金法(分度法)と一致している。ただ、その実行を偶然私が思いついたまでである。貯金の問題は、要するに、方法の如何(いかん)ではなく、実行の如何(いかん)である。

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ところで、私のやり方をさらに詳述してみると、「あらゆる通常収入は、それが入った時、天引四分の一を貯金してしまう。さらに臨時収入は全部貯金して、通常収入増加の基に繰り込む」法である。これを方程式にすると、

貯金=通常収入× 1/4 + 臨時収入× 10 / 10

ということになる。つまり月給その他月々決まった収入は四分の一を、著者収入、賞与、旅費残額などの臨時分は全部を貯金に繰り込む。こうして、また次年度に新しく入ってくる貯金利子は、通常収入とみなしてさらにその四分の一だけをあとに残しておく。これが、私の二十五才の時から始めた貯金法である。苦しい上にもさらに苦しさを求めたのだから、初めての生活はまったくお話になら苦しさであった。しかし、私は発頭(ほっとう)人でもあり、家計はいっさい妻に託したので、比較的に平気ですまされた。

実際家内の方はさぞ大変だったろうと、今からでも顧(かえり)みて推察できる。帳面買では安い物は買えない。そこで買物はすべて現金、月末になるとその現金が無くなってくるので、毎日胡麻(ごま)塩ばかりですませたことさえある。それでも大人達はなんともなかったが、頑是(がんぜ)ない子供達は正直だ。「お母さん、今夜も胡麻塩?」などと泣き顔をした。それを家内が、「もう三つ寝るとオトトを買ってあげますよ」となだめなだめしていたが、私は平気とはいいつつ、さすがにこれには断腸(だんちょう)の思いをした。

しかし、私のこの計画は、あくまでもしっかりした理性の上から来ている。気の毒だとか、かわいそうだなどということは、単に一時的のことで、しかもツマラヌ感情の問題だ。この際この情に負けてはならぬと歯を食いしばった。そうして、四分の一貯金をつづけていけば、三年目にはこれこれ、五年目にはこれこれ十年目にはこれこれになる。今の苦しさは、苦しいのを脱れるための苦しさだから、しばらく我慢してくれと家内の者を説いたのである。

まったく、私のやり方は無理の様でけっして無理ではない。給料四十円貰ったら、三十円しか貰わなかったと思って一俵分を別にすればよろしい。米の方は今年より来年が殖(ふ)えるというわけにもいかぬが、給料の方ならまず順当にいけば必ず殖える。辛抱しさえすればだんだん天引き残余が増してくるのである。

しかも私の場合、私と同じくらいの家族を抱え、現に三十円の収入で生活をしている人々も多かったので、私はただ生活の出発を一段下げた所から始めるとさえ考えればよろしかったのである。

敗戦後の今日、誰も彼も最低のところに在るのでは、一般にも、半段にも、どうにも下げようがないではないかといわれるかも知れない。しかし、事実ははたしてそうだろうか。当時における私のこの考え方は、現在でも経済生活の行詰り打開に応用できると確信する。

ホンの一回、最初の出発において、何人もまず四分の一の生活切下げを断行して下さい。ただそれだけですむのである。何事も中途でやり直すことはむつかしい。最初から決めてかかるのが一番楽で、一番効果的である。

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貧乏征伐の決意

さて話は本筋へ戻ろう。

私は少年時代から学生時代にかけて、ひどい貧乏生活をつづけてきた。そうして、貧乏なるが故に深刻な苦痛と堪(た)えがたい屈辱(くつじょく)をなめさせられてきた。そこでまず、なんとしてもこの貧乏生活から脱却しなければ、精神の独立も生活の独立も覚束(おぼつか)ないと考えた。

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明治二十五年ドイツ留学から帰って、東京大学の農学部助教授になったのが、私の満二十五才の時である。これが月給の取り初めであるが、奏任(そうにん)官の年棒八百円(現在の価格に換算すると約三百万円)というのであった。この八百円は製艦費として一割を引かれ、正味の手取りが七百二十円(現在の価格に換算すると約二百七十万円)、月割にして六十円(現在の価格に換算すると約二十二万円)ばかりであった。その中からさらに恩給基金等の控除があって、本当の月給は五十八円(現在の価格に換算すると約二十一万三千円)ほどになる。

当時すでに私は一家を構えていたが、まずこれだけあれば、大学教官としての体面を保つ生活は十分とされた。普通に暮していけば、まあ一パイ一パイというところであった。しかし、いけないことには、静六が外国から帰って大変な月給取りにでもなったと早呑込(はやのみこ)みしてか、にわかに寄食者がふえ、全家族九人を数えるまでになった。いかに物価の安い頃とはいえ、これではどうにも動きがつかない。

それでも、旧幕臣の娘だった昔気質の義母などは、いっこう平気で、私の大学就任を士分の扶持(ふち)取りになったかのように考え、いくら使っても一生お上からこれだけは頂けるからいいじゃないかといっていた。私は月給取りと知行取りとはちがう、知行は家にくれていたものだが、月給は私の勤務に対してくれるものである、私が勤められなくなれば、もう一文の支給もなくなると一所懸命に説明を試みても、当人はなかなか呑み込めぬ有様であった。

こういった同勢九人を抱えての私は、これではいつまでたっても貧乏から脱けられない、貧乏を征服するには、まず貧乏をこちらから進んでやっつけなければならぬと考えた。貧乏に強いられてやむを得ず生活をつめるのではなく、自発的、積極的に勤倹貯蓄をつとめて、逆に貧乏を圧倒するのでなければならぬと考えた。

そこで断然決意して実行に移ったのが、本多式「四分の一天引貯金法」である。苦しい苦しいで普通の生活をつづけて、それでもいくらか残ったら……と望みをかけていては、金輪際(こんりんざい)余裕の出てこようはずはない。貧乏脱出にそんな手温(てぬる)いことではとうてい駄目である。いくらでもいい、収入があった時、容赦なくまずその四分の一を天引きにして貯金してしまう。そうして、その余(あまり)の四分の三で、いっそう苦しい生活を覚悟の上で押し通すことである。これにはもちろん、大いなる決意と勇気が必要である。しかも、それをあえて私は実行したのである。

すなわち、一ヶ月五十八円(現在の価格に換算すると約二十一万三千円)の月給袋から、いきなり四分の一の十四円五十銭也(現在の価格に換算すると約五万三千円)を引き抜いて貯金してしまう。そうして、その残りの四十三円五十銭(現在の価格に換算すると約十六万円)で一家九人の生活をつづけることにしたのである。

この一ヶ月十四円五十銭(現在の価格に換算すると約五万三千円)の天引が、後に数百万円(現在の価格に換算すると約百億円前後)の資産を積む第一歩となったのだから、われながら大いにおどろく次第である。

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今日の「生活白書」

まず『私の財産告白』とでもいった話から始めるとしよう。これは、どうして素寒貧(すかんぴん)の私が金を作り、財産を積み、そしてまたもとの無一物に還(もど)ったかという話である。

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柄にもなく、今どき、財産の話などを持ちだすと、本多が今もって、かくれた大資産家であるかのごとく、誤解されるおそれがあるから、最初に、いわゆる禅家の「無一物中無尽蔵」といった、乏しい中にも満ち足りた現在の生活白書から御披露しておきたい。

後段にくわしくお話するであろうが、満六十才の大学教授の停年とともに、感ずるところあって、私は、私の全財産をひそかに公共事業に寄附してしまった。そうして働学(どうがく)(労働と学問)併進(へいしん)の簡素生活に入り、老妻とともに再び昔の貧乏世帯を張り直した。もっとも貧乏世帯といっても、土地、家屋、株券で約百万円程(現在の価格に換算すると約一億五千万円)を残し、かてて加えて勤倹貯蓄に心掛けていたので、またまた各方面へ追加寄附のできる予定計画され立つほどであった。

それが大敗戦の結果、ついに財産の六割あまりを占めていた正金(しょうきん)銀行その他海外事業株が丸損となり、加うるに数十万円の財産税と非戦災者税の支払いなどで、東京の家屋敷と、箱根、伊東のわずかばかりの不動産を残すほか、全くの無財産となってしまった。その後の生活が、いわゆるタケノコを余儀(よぎ)なくされたのは、いうまでもない。

ところが、戦時中からいよいよつとめてきた昼耕夜学、芋粥(いもがゆ)とホルモン漬――生野菜を塩づけにしたものの自称――の簡易生活で、耐乏、よくこれを切り抜けてきた。さらに今年の初めから、インフレの終止や恩給の増額で、ようやく経済的安定を得るに至ったので、この上は、慢心(まんしん)と、贅沢(ぜいたく)と、怠惰(たいだ)とを厳にいましめさえすれば、どうやら百二十才以上までは無事に生きられそうである。

そこで、今ここに、私の生活収支を具体的にはっきり公開しておくと、まず恩給が年七万円あまり(現在の価格に換算すると約二百七十万円)、貸家貸地収入が約三万円(現在の価格に換算すると百万円)、それに畑の生産物を金に見積もって合した全部がわが家の年収である。もちろん、子供にも誰にも厄介(やっかい)にはなっていない。これらのすべては老妻に託して、老妻の切り盛りにまかせているが、芋粥とホルモン漬の簡易生活は、ますます私どもを健康にしつつ、しかも老妻の手元には幾らかずつの貯金ができているらしい。

その他、私には私なりにかせぐ原稿料、講演料、身の上相談謝礼などの副収入があり、その半分を小遣いに使い、あとの半分もこれまた貯金している。この貯金は次回(二十回目)の洋行費や関係育英財団への寄附に当てるつもりでいる。

こうした有様であるので、今の私には経済上、生活上に何らの不安もなく、元気で、明朗で、八十五という年にさらに一つでも早く年を加えることがうれしく、しかもその老いを忘れて、日に新たに、日に日に新たなる努力生活を楽しみにしているのである。

これが私の今日の「生活白書」。

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